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阿部定事件資料集〜事件発覚から判決まで〜

《事件発覚》     昭和11年5月19日 讀賣新聞

尾久待合のグロ殺人

 流連七日目の朝の惨劇

妖艶・夜會髷の年増美人

 四十男を殺して消ゆ

  變態急所を切取り敷布と脚に

   謎の血文字『定吉二人キリ』

帝都の北郊、尾久花街の眞ン中に世にも奇怪な殺人事件が起つた、待合二階四疊半の蒲團を血に染めて花模樣の掛蒲團に隠されてゐた男の惨殺體!痴情か?怨恨か?ともかく犯人は男の連れの女で、夜會髷の、しかも妖艶な美人なのだ、殺されたのは中野新井の料亭の主人で四十男、頸部を絞められたうへ無殘にも急所を切られて居た、怪美人はそのまゝ姿を消して現はれず、この怪奇な殺人事件の搜査網は全市に張られて怪美人の行方を追つて居る

 

中京商業の校長と

 兇行後、日本橋で密會

  男は新井花街料亭の主人、女は元の女中

   嫉妬に狂ふ無殘の兇行

荒川區尾久町四ノ一八八一待合まさき家≠アと正木しち方に去る十一日夜投宿した男女があつた、二人連れだつて散歩に出たり時には藝妓などをあげて

 陽氣 に騒いでゐたが十八日朝八時ごろ女は『チョッと水菓子を買ひに新宿の伊勢丹まで出かけてきます、男は寢てゐますからそのまゝにしておいて下さい』と云つて待合で經営してゐる同町四ノ一九四五三業タクシー=運轉手正木勘次郎=を呼んで出かけたがいつまで經つても歸つて來ず、男も起きて來ないので不審に思つた女中伊藤とも()が午後二時半ごろ二階桔梗の間(四疊半)に行つて見ると意外、男は西枕に蒲團をかぶつて死んでゐるので驚いて尾久署に急報した、警視廳から浦川搜査課長、高木鑑識課長、吉田主任警部、裁判所から正田豫審判事、酒井檢事ら出張取調べると男は女の腰紐で首を絞められ更に急所を根元から剃刀樣のもので完全に切り取られてをり

 敷布 の片隅には三寸角の楷書で血汐を指に染めて書いたものらしい「定吉二人キリ」と血の文字が生々しく認めてあり、更に男の左大腿部にも同じ文字を血で認め、また右の上搏部[ママ]には剃刀で「T」と切つてあり切り取つた部分は殘つてゐなかつた、犯行は同日拂暁に行はれたものらしく兇行後女は男の現金と兇行に使用した兇器を持つて逃走したもので尾久署では姿を消した女を犯人と見て搜査した結果、この女は去る二月まで中野區新井五三八料理屋石田吉藏()方で女中をしてゐた阿部さだ()と判明した、同女は待合まさき方を自動車で出かけ新宿伊勢丹前まで來ると赤信號が出たので運轉手に「こゝでよろしい」と云つて下車し日本橋の某所でかねて馴染の中京商業學校々長大宮五郎氏と會つて姿を晦ました事が判つた、女は髮を夜會髷にして七草模樣チリメンの長襦袢に薄水色浮花模樣錦紗の袷薄鼠色の單衣羽織を着てゐたこの世にもグロな殺され方をした男は果然犯人阿部さだが昨年暮から本年二月まで女中として住み込んでゐた中野區新井五三八料理屋吉田家の主人石田吉藏()と判明した、石田は先月廿日ごろ現金二、三百圓を持つて家出去る十二日夜ひよつこりさだと一獅ノぶらりと歸宅再び飄然と家を出たもので兇行の原因は嫉妬と見られてゐる

 石田 は大正九年中野へ移つてきたもので土地では二流どころの料理屋であるが酒のみで女道樂がはげしく昨年暮女中に住み込んださだと間もなく中年の戀を囁くやうになつたものである石田の家庭は妻女と×子()長男×吉()長女×江()の四人暮しである


ママ及び伏字×印箇所は筆者

《逮捕》       昭和11年5月20日 報知新聞号外

稀代の妖女阿部さだ

 品川驛前旅館で捕る

    天命盡きて今夕五時半

 

殺人事件に惡魔的な情痴を織り込み、躍起の搜査當局を尻目に飄々變化の如く出沒した尾久花街の獵奇的殺人事件犯人田中かよ事阿部さだ(三二)は十八日朝元主人中野區新井町五三八吉田家支店石田吉藏氏(四二)を絞殺、急所を持去つて凶行現場の尾久待合「まさき」を立出たまゝ失踪三日間、戒嚴令下の帝都に張りめぐらされた當局の非常警戒を潛行しつゝ~田、日本橋、大塚、新橋等各所に出沒してゐたが、當局必死の追跡に漸次追ひつめられつゝ大膽不敵、數度にわたつて變裝、十九日夕刻品川驛前旅館品川館に投宿、こゝでも片眼を眼帶で擬装して追及を逃れんとしたが、二十日午後五時半高輪署の檢索によつて天命盡きて逮捕された、さだは一先づ高輪署に移されたが、直ちに當局の凱歌と共に尾久署の搜査本部に移され、本格的な取調べが行はれてゐる

 

問題のハトロン包み

 大事さうに懷中に

     微笑を浮べて引かる

犯人さだは品川館に投宿したのは十九日午後五時半頃で同館の女中渡邉たへさん(二一)が階下六疊の四六號室に案内した、その時の着衣は濃紺の地に茶の格子セル、新橋日蔭町で第二の變裝をしたまゝの姿であつた、その上縁なしの眼鏡をかけてゐた、たへさんがお茶を持つて行くと夕刊を見ながら「随分凄い事件ね」といひ、たへさんが「怖しい女もゐるものですね」と答へると妙な笑ひを洩らしてゐた「右の眼が惡いから眼帶を買つて來ておくれ」といひ、それからは右眼を眼帶で冷やしてゐた、入浴後六時半頃食膳に向つたがその時にビール一本を平げた、夕食がすむと「按摩さんを呼んでくれ」と頼み果物を注文して苺ミルク一皿と梨一個を食べた、七時半頃按摩が來て約一時間位身體を揉ませた上、再び入浴して寢たのは九時半頃であつた、二十日朝七時頃眼をさまし、たえさんが食膳を運ぶと「東京の新聞ばかりでなく大阪の新聞も買つて來ておくれ」と頼み、數種の朝刊を讀みながら柳川鍋をつゝいて日本酒二合瓶一本を平げた「飯は食べたくないから」と握り壽司一人前をとらせて食べ、また敷きぱなしの蒲團にもぐり込んだ品川館では「どうも荒んだ樣子の人だからお會計をもらつておいで」と六圓廿六錢の書附を持つて行くと、五十錢銀貨でこれを拂ひ、更にチツプ一圓を奮發した「團體客があるから離れに代つて呉れ」といはれ同じ階下六疊と二疊の離れに移り、洗面器に水を運ばせて眼を冷やしガーゼを取り換へながらまた/\蒲團の中にもぐり込んだ、午後五時半頃品川署の刑事を部屋に案内し、その刑事が襖を開けて「警察の者ですが」といふと半ば起きかけてゐたさだは「アラそうお」と平然たる顏つきで水淺黄の長襦袢のまゝ立膝で鏡臺の前に座り、一服吸ひつけながら顏のくづれを直し、上野の古着屋で買つた水色の絽縮緬の秋草模樣のある着物に着更え、問題のハトロン包を大切さうに懐中深く押し込み口もとに薄笑ひさへ浮かべて悠然と引致されて行つた

《予審決定書》       昭和11年10月1日 國民新聞

予審決定書(全文)

 

本籍 名古屋市東區千種通り七の七九

住所 不定

    無職 阿部  定(三二)

右に対する殺人及び死体損壞被告事件に付き予審を遂げ終結決定する事左の如し

主文

本件を東京刑事地方裁判所の公判に附す

理由

被告人阿部定は東京市神田區新銀町一九、疊職重吉の四女に生れ小学校在学中より遊芸を仕込まれたるが、早熟にして十五歳の時既に処女を失ひ其後は町の不良と交り相次いで異性を求むる等、不良の傾向顯著なりし為十八歳の頃父重吉は被告人を見限りて芸妓となすに至り爾来被告人は横浜、富山長野、大阪、名古屋、兵庫、東京等の各地を轉々し、芸妓、娼妓、私娼或ひは妾等次第に淪落の淵に沈み生活し來れり、然れども昭和十年頃よりやゝ目覚むるところあり、更生の一歩として昭和十一年二月一日東京市中野区新井町五三八、割烹業吉田家事石田吉藏(四二)方に女中として住み込みたるが、生来多情なる被告人は間もなく右吉藏と情を通じ家人に感知せらるゝに及び同年四月二十三日両名諜めし合はせて家出し、翌五月七日渋谷区円山町八五「みつわ」外市内數ヶ所の待合を轉々して愛慾生活に耽溺し居り其間吉藏は被告人との関係を長く持続する爲同人を妾となし待合を開業せしむる意あるを洩らしその準備のため一時歸宅する事となり互に未練を殘して別れたり

然るに被告人は吉藏と別るるや同人に対し未だ嘗つて経験したる事なき恋慕、愛著の念を感じ吉藏夫婦の生活を想像して嫉妬と焦躁の情に馳[]られ、瞬時も吉藏と別離するに堪へがたく再会の折りは情痴の戯れに用ひんとして牛刀を買求め等したる上同月十一日電話を以て吉藏を誘ひ出し中野驛にて落ち合ひ午後十時頃荒川區尾久町四の一八八一待合「まさき」事正木しち方に赴き以来同家に流連し日夜情痴、愛慾の限りを盡したるがたま/\五月十六日、吉藏と情交中刺激を求む可く同人の頸部を腰紐を以て緊縛したる爲同人の顔面充血するに至り吉藏は之が治療の爲歸宅静養せんと被告人に告げたるところ被告人はさきに一時吉藏と別れゐたる間の苦しき経験を惟ひ到底同人と別るゝに忍びず、さりとて吉藏には妻子を振り捨て自己と同棲する迄の意思なかりを察知し居たる爲遂に吉藏を永遠に獨占せんがためには同人を殺害するに如かずと決意し、同月十八日午前二時頃前記待合「まさき」方さくらの間に於いて熟睡中なる吉藏の頸部に自己の腰紐を二重に巻き付け、その両端を両手を以て強くひきしめて即時同人を窒息死に至らしめ尚ほ吉藏の死體に痴戯しゐるうち同人を完全に獨占し他の女性は妻と云へども一指だに触れさせまじと慾求する余り、同室に持ち込みゐたる被告人所有の牛刀を以て吉藏の陰莖及び陰嚢を切り取り且つ同人の右上膊部外側に被告人の「定」の名を刻み込み以て吉藏の死体を損壊したる後其の傷口の血を手指につけ吉藏の左大腿部に「定吉二人」なる文字をその寢床敷布に「定吉二人キリ」なる文字を書き残し、右切り取りたる陰莖及び陰嚢を懷中して同日午前八時頃同家を逃走したるものなり
(註)法律用語は略す

《論告求刑》       昭和11年12月9日 東京朝日新聞

解剖台上の異常心理

社會的影響を惧れ

 お定に十年求刑

  飽くなき獨占慾・改悛の情絶無

   檢事・論告で爆撃

 

「お定事件」の主人公阿部定(三二)にかゝる殺人並に死體損壊の第二回公判は八日午前九時五十分から東京刑事地方裁判所細谷裁判長係りで開廷され酒井檢事から別項の如く懲役十年の求刑があつた。

初冬の霜凍る七日夜から相變らず百五十枚の一般傍聽券を獲得せんとしてドンドン押かけて來る徹夜の陣に裁判所では大混雑を惧れて八日午前五時半にははやくも傍聽券を配布してしまつた。

お定公判にあてられた陪審大法廷は前回にも増して傍聽人が立錐の余地なくすし詰めにさせられ特別傍聽席には滿州國留學の司法官、判檢事、探偵小説家等々が居並び法廷内むせるが如き中に

九時四十五分、お定は突如看守に手を引かれながら傍聽人の期待を裏切つて正面側の檢事出入口から出廷。九時五十分細谷裁判長は陪席横山、飯森兩判事、酒井檢事と共に入廷、直に開廷を宣する裁判長はお定に起立を命じ特別事故の發生せざる限り公判は公開して審理する旨を告ぐ。お定は前回の如くK小紋の羽織に臙脂縞のお召を着、ハンカチを弄びつゝ俯きながら一つ一つうなづく、それより裁判長との問に大宮元校長との關係並に石田殺害の心境につき二、三の問答の後、いよいよ酒井檢事の論告に入り檢事は草稿を手にしながら約五十分に渡り峻烈なる論告をなした後お定に對し懲役十年を求刑、同十一時休憩となる

 

破壊性を衝く(論告大要)

酒井檢事は冒頭に「事案の眞相を仔細に檢討解剖する時は公開席上では風教上考慮せねばならぬものがある」とて先づ犯罪事實關係に入り「事實は被告が終始一貫これを認めてゐる」とて

一、本件は純粹なる殺人罪で情痴の戯れから間違つて殺人したものではない。

二、嘱託殺人又は自殺幇助の事實はない。加之被害者石田は殺されやしまいかといふ

豫感さへももつてゐない、その證據に犯行當夜石田は「おれは眠るがお前は今夜も絞めるだらう、手を放すな、手を放すと後が苦しいから」といつてこれを直譯しても殺してくれといふ意味はない。さうさし迫つた空氣でなく互いに笑ひ事で笑ひの中に寢ついてゐる。

三、以前に心中するとか何とかいうてゐるのは愛情からの冗談で眞に死ぬといふ考のものではない。石田は死ぬといふ考はなかつた。

こゝで檢事は石田が死なねばならぬ事情はなかつたことを檢討し

一、石田が小僧からたゝき上げ數萬の富を積み結婚して後も三年間は夫婦互にお膳に向つたこともない程粉骨碎身して立派な割烹屋を持つに至つたものでこの人が妻子をすててその女中と己を滅すいはれなし。

二、石田は子煩悩であり證言によつても判る如く商賣を大切にした。石田が待合から歸らうとした氣持を遮るためお定が着物を隠したりしたが石田はお人よし親切で女のいふ事にはいやだと云はれぬ男であり、女性に從順な性質が勝氣な被告に好かれたもので石田はお定の感情を害するのを恐れてゐた。

三、石田が最後の一線にふき止まりそこから一歩も動かうとしなかつたためにお定はこゝに

殺害する氣になつたもので石田はこれ迄お定に殺されるとは夢にも思つてゐなかつたものである。

檢事はお定の精神状態については村松鑑定人の鑑定を引用し「心神喪失又は心神耗弱の程度のものではない。性格異常と感情の過敏の上に當時の激しい飲食と不しだらな行動が影響したもの」と斷じ

お定の性格並に特異な感情から本件を惹起したもので被告は何ものをも考へずに慾望通りに實行する、殺人の如き大罪も躊躇せずにやる、何事をも思ふ通りやらねばならぬといふ氣質、性格、性癖をもつてゐた。

と性格を概観し

一、我儘で衝動のまゝに行動する

一、虚栄心が強く濫費驕奢の精神高い傲慢不遜で反抗心が強い

一、勝氣で剛情で意地張りで懶怠性がある(こゝで檢事は痛烈に學校時代その他を指摘す)

一、破壞性がある

一、好奇心のまゝに動く

一、酒、煙草を嗜む

一、意志薄弱で情に脆い

一、熱しやすく冷め易い。機嫌が變り易く好悪著明、感情が激しい

檢事はこの性格論を裏づけるために幾多の例を擧げ

 今度は鑑定書に基いてお定の性情を瞥見し「強烈なる獨占慾がありこれを滿足せねばやまぬといふ衝動の持主である」ついでいよいよ情状論に入り

春秋の筆法を以つてすれば本件は被害者石田にもその責任の一斑があるといはねばならぬ

とて石田の遺族の現状を憐れみ石田の子煩悩性をたゝへ、轉じてお定の性格を罵倒。

大宮は機會毎に訓戒と激励をもつてし肉體よりも精神的愛に生きよと諭して來たに拘らず、被告の多情は遂に大宮の努力を水泡として全く恩を讐で返したものである。

流石にお定は耐へられぬものゝ如く頰にハンカチで顏を覆うて泣く。

本件の社會的影響――人心を刺戟し風教を害したことは甚大なもので犯罪の模倣性から本件類似の犯罪が

頻發してゐる。然るに被告は改悛の情更に認めらるべきものなく、罪を罪として悔いず、只馬鹿なことをした、損をしたといふ程度に過ぎざるものがある。

辛らつな口調は骨肉をも刺し、十八年間に亙るお定の流轉生活を敍し最後に

法律上刑の減免の理由は少しもないが幾多の事情を酌むとき、やはり極刑をもつて臨まずに酌量すべきものがある。即ち社會的影響の大なるを考へる時主觀的事情に安價な同情をよせ輕く處分するわけには行かぬ。特殊なる事情、性格に惹起した本件は全く前例のない事件だけにある意味において運命づけられたる觀あり、こゝに被告の利益、不利益情状を綜合して懲役十年を相當とする

と結んだ。

《判決》       昭和11年12月22日 讀賣新聞

お定自省自戒習癖を矯正せよ

 裁判長の訓戒要旨

 

 被告人は長期の淫放的生活に堕したる結果淫亂性の習癖者となり、加ふるに年齢に於いても所謂爛熟期に達したる上偶々本件被害者が其習癖に興味を持ち之を遺憾なく滿足せしめたる爲め、其痴戯に對し急激且極端なる愛戀執着を感じ輕度の精神障害に因り衝動的に爲したる犯行なりと謂ふ事が出來る。而して假令本件犯罪が右の如く被告人の習癖たる淫亂性の招きたる且輕度の精神障害に因る衝動的行爲に基因するとは謂へ

 人命の尊重 社會風教上に及ぼす影響等により遂にその科刑輕きを正しと爲すべからざる事は勿論であるが、他面本件犯罪に就ては被害者が好色漢にして齢不惑の齢に達しながら自己の家庭境遇等をも顧みず拾數日間被告人の淫亂性を認識し且之に興味を持ち只々痴戯の對象のみとなり全く被告人の右痴戯の玩弄物たるに甘んじ遺憾なく且極端に其習癖を滿喫せしめ以て本件犯罪に對し重大なる素因を與えたる事は到底看過する事は出來ない。更に又本件が一般社會の注目の焦點となり且喧傳せられる所以のものは殺人行爲其ものに非ずして、寧ろ死體損壊及其後の行動の特異性である。而も其死體損壊罪の法定刑及び其量定刑の程度に想到する事を察し、尚被告人が被害者の跡を追ふて自決せんとし檢擧が數時間遲延したらんには被告人は幽明其の所を異にして居たであらう事を多少考察せざるを得ず、而して又輓近刑事被告人が自己の非違を猛省せず機會ある毎に徒に事を構へて其非違を有利に糊塗せんとする傾向にある時、或は又相當の年齢境遇にある婦女が稍ともすれ自己反省力に乏しく其責に歸すべき事由を徒に周圍の關係者又は其他の者に轉嫁せんとする者尠しとせざる時に當り、本件被告人は自己の利益の爲め具陳す得べき

 幾多の重要なる事項及機會があつたのに拘らず却て自己の不利益となるべき事、殊に況や其重罪たる事を認識しながら深く其責を痛感し敢て極めて率直に而して積極的に之を縷述して明白にしたるが如き點を一考し尚右被告人の習癖であつて且本件犯行の素因たる淫亂性の發現をある程度に道義的に矯正する事が可能なる點等をも看過する事は到底妥當なりと思料するを得ない然り而して前叙の如く固より本件に付人命の尊重すべき事又社會風教上惡影響を及ぼしたる點等重要視すべき事は勿論であるが之に膠着して叙上諸點を除外して過酷に鞭打つ事は其當を得たるものではないと思料するものである。然れども本件が愛戀の極致なりと又は所謂心中若くは狂人に近き行爲なりと即斷し科刑の極めて輕きを妥當と思惟するは具に事件の眞相を辨へざるか、或は又人命の尊重社會風教上に及ぼす影響殊に習癖たる淫亂性の矯正を閑却したる迂愚の歡察である。幸にして被告人は過去數ヶ月間の拘禁に依り最近自己の淫亂性を深く認識し、之れが矯正に苦闘して居る事は或種の行爲の逓減其他の言動に徹し明白なるところで右

 習癖の矯正に付早くも其曙光を見たるものと謂ふべく從て一定期間社會より隔離し且行刑當局の深甚なる戒護を得ば該習癖の爲め社會に害毒を及ぼす處なき程度に道義的矯正を爲し得べき可能性充分なる事を推知するに足る。當裁判所は叙上諸般の事情を參酌し且調和し主文の如き科刑を以て適正なるものと確信したる次第である。故に被告人は當裁判所の意のあるところを克く體得し自省自戒且自己の習癖の矯正に更に一層の努力を爲し出所後は斯る犯行を繰り返さゞる事を切に戒告するものである。

 

愛慾ヒロインに斷罪

お定に懲役六年の判決

 裁判長、出所後の事まで諄々と諭し

  泣きつゝ彼女は服罪

まさに年ゆかむとする師走廿一日を婀娜な桃色模様に染めあげて、東京刑事地方裁判所一號法廷に昭和の情怨史に一世の名をとゞめた愛慾お定斷罪下る。例によつてお定マニアがこの大詰めの公判めざしてドツと押寄せると思ひのほか、夜來の雪が祟つてけさは傍聽の一般マニアの數も案外尠く、雪の一夜をガン張り通した男が二人、午前七時ごろからボツボツ増して開廷近づくにつれ年増女やパーマネントなども現はれてざつと百人、やがて午前十時五十五分細谷裁判長以下が出揃つてお定も地下道から三回目の登場黒の羽織姿がやつれて見えるがさすがにその編笠をさつととつた一瞬!滿廷に妖氣のうねりが渦まいて法廷内の全視線が彼女にそゝがれる。かくてお定こと阿部定()に對し懲役六年未決拘留百廿日通算(求刑は十年)の判決が言渡された。

 

午前十時五十五分細谷裁判長、酒井檢事係りで開廷、去月廿五日第一回公判及び去る八日の第二回公判で事實審理酒井檢事の論告十年の求刑、竹内老辯護人の辯論でお定の噂の謎も今は解けさつたのか、これまでの公判日に比べて法廷の内外が何と靜かなこと!

窓外は夜來の雪が霏々として降り續く。警戒のお巡りさんがそつと欠伸をかみ潰した。――お定感傷の日≠ノふさわしい。

この日のお定は思ひなしか蒼ざめてゐる。例によつて白いハンカチを弄びながら、だが編笠姿十七の襟番號はいたく哀傷をそそる。

裁判長聲咳一席

「被告人に對する殺人並に死體損壞被告事件の判決を言渡す。但しその前に理由を讀み聞かす」

と徐ろに別項のやうな訓戒要旨をかんで含めるやうに言ひ聞かせて懲役六年(未決拘留百廿日通算)を言渡した。

 お定は耳を傾けて靜かに聽き入りつゝ既に覺悟のうへといつた風情だが、その一瞬さすがに感慨無量のものがあつたのだらうハンカチで目頭をそツと拭ふ、泣いてゐたのだ。傍聽席にもホツとしたやうな動揺の波が漂ふ。裁判長は更に語を續けて

「判決理由の中には觸れなかったが出所する時が大切だ。被告を營業的商賣に利用しようとするものが無いとも限らない。よく注意するやうに」

と懇切を極めた注意に

「ハイ、わかつてをります」

とやさしい小聲で明答する。裁判長はまた

「裁判所のいふ処はよくわかつたね。またわからない言葉はなかつたか」

と時々むづかしい熟語を使つては解説し十一時卅五分訓戒を終つた。

 最後に裁判長から

「この判決に不服だつたら五日以内に控訴するやうに」

と温情を示せば

 「控訴權を放棄します」

とキツパリ一審の處斷に服してしまふ。

「後になつて後悔するやうなことはないかね」

「ありません」

死刑をさへ望んでゐたお定の決意は固い。裁判長もニツコリ笑つて、未だかつて見ないなごやかな公判。

尼僧のやうな心境を抱いて心の中でさぞ皆樣さやうなら≠ニ繰り返したことだらう。


 

栃木女囚刑務所へ

 恩典に浴すれば二年後假出所?

 お定に對しては檢事控訴もあると見えないので、近く女囚専門の栃木刑務所に下獄する筈であるが服役の期間は六年とはいひ乍ら未決百廿日を通算すると五年八月つとめればよいわけで模範囚ともなれば刑期三分の一を經過すると假出所の恩典に浴することも出來るから最上の條件で出所するとすればあと二ヶ年もすれば娑婆のお定が見られるわけだ。


《判決》       昭和11年12月22日 東京朝日新聞

霙降る日・い判決

 お定に懲役六年

  裁判長「氣をつけて行けよ」

   おとなしく服罪す

「お定」斷罪の日が遂に來た――去る五月十八日尾久待合で情夫中野區新井町五三八料理店吉田屋主人石田吉藏()を殺してから實に二百十八日目の二十一日、事實審理及び論告弁論の兩公判の時は押すな/\の騒ぎであつたがこの日は日來の霙と寒さに恐れてか傍聽者はざつと百名、然しその中には大審院の老判官、劇作家、數名の若い女性の一團も交り、寒さに慄へながら靜かに開廷を待つ、回十二月八日の公判で檢事から殺人並に死軆損懷のかどで懲役十年を求刑された主人公お定=本名阿部定()=、市ヶ谷へ歸つてからはすべてをいひつくした心安さ?から封筒張りを手傅つたり時々竹内弁護士に感謝の手紙を寄せ最早何の未練もなく判決言渡しを待つてゐたさうで十時五十五分數名の看守に護られながらボン/\するフラツシユの中をくゞりながら地下道から出廷する左手に繃帶をし右手にハンカチをもつて被告席に起つ、かくて同五十七分細谷裁判長は陪席判事、酒井檢事等と入廷、直に開廷を宣し、莊重な口調で「被告に對する殺人死體損懷罪について判決を言渡す」とて「主文」を後にし約三十分に亙り長々と判決理由を朗讀した後お定に對し懲役六年(未決通算百二十日)の判決を言渡し將來を懇々と戒めた

 

じつと見上げて

  斷罪を宣告の瞬間

判決を言渡されたお定は檢事の求刑に比してあまりに輕かつたので靜かに裁判長を見上げたが裁判長は

 よいか、よく判つたか

と諭し、七日間に控訴出來ることを告げるとお定は目に涙をたゝへ聲をふるはして

 上訴權を放棄します

と即答、裁判長は尚も

 それでよいか、後悔することないか

と念を押すとお定ははつきり「御座いません」といひ切る、裁判長は書記にその旨を命じ更にお定に向つて

體を丈夫にして……裁判所のいふことをよく身につけて眞面目にやらなければならんぞ、それから刑務所を出る時は營業的痴漢といふ馬鹿者が居て被告を利用せんとするからそんな馬鹿者には引かゝらぬやうに氣をつけなくてはならぬ

服役出所後のことまで細々と注意するとお定は

 それはよく判つて居ります

 それでは體によく氣をつけて―歸つてよろしい

お定は幾度も/\慇懃にお辭儀をして又多數の看守に護られて十一時三十分退廷した、お定も竹内弁護士も上訴權を放棄したので檢事が控訴せぬ限りは一審で刑が確定するわけであるがお定はしばらく市ヶ谷に居て來春早々女囚刑務所に収容されるものと見られてる


判決理由(要旨)

 

お定は~田の疊職の末子に生れ幼くして學業に勵まず十五歳にして處女を失ひ自暴自棄となりそれより交友を町の不良に求め放縦のふるまひ甚だしきために父は社會の裏面を知らしむるに如かずと考へ大正十一年八月お定が十八の時横濱で藝妓となしたが爾來お定は北陸、關東等を轉々し、更に大正十四年暮には自ら娼妓となり再轉して闇の女から陰の女として淪落の淵に身を沈めたま/\昭和十年春名古屋に於て元中京商業校長大宮五郎氏の勵告援助により小料理店を計畫しその見習ひのため吉田屋に女中奉公したが好色多感の主人吉藏と情を通じ遂に家人に知られ四月二十三日相次いで家出、各所に流連、一旦別れたが愛戀思慕の絆たち難く再び五月十一日電話にて吉藏を誘ひに同月十八日まで又も流連したが、獨占慾から醉態焦躁の念にかられこれを絞殺したるのみならず死體までも獨占せんとして損壞、更に獨占事實を他人に誇示せんとして敷布に「定吉二人きり」と血で認ため、自己の長襦袢に流血を塗つて逃走したものであるが當時お定は輕度の精~障害即ち心~耗弱の状態にあつたものである

 

敢て世に誨ふ 訓戒要旨公表

 

細谷裁判長はお定に對して別項の如き理由を讀み聞かせた後本件が社會を衝動したる事情を顧慮し特に科刑精神なるものをつげて一般社會に警告したがその大要は次の如きものである

本件は判文上明白なるが如く被告人は長期の淫放的生活に堕したる結果亂淫性の習癖者となり加ふるに年齢に於ても所謂爛熟期に達したる上偶々本件被害者が其習癖に興味を持ち之を遺憾なく滿足せしめたる爲其痴戯に對し急激且つ極端なる愛戀執着を感じ輕度の精神障害に因り衝動的に爲したる犯行なりと謂ふ事が出來る、而して假令本件犯罪が右の如く被告人の習癖たる亂淫性の招きたる且つ輕度の精神障害に因る衝動的行爲に基因するとは謂へ

人命の尊重、社會風教上に及ぼす影響等より遂に其科刑輕きを正しと爲すべからざる事は勿論であるが他面本件犯罪に就ては被害者が好色漢にして齢不惑の齢に達しながら自己の家庭環境等をも顧みず十數日間被告人の亂淫性を認識し且つ之に興味を持ち只々痴戯の對象のみとなり全く被告人の右痴戯の玩弄物たるに甘んじ遺憾なく且極端にその習癖を滿喫せしめ以て本件犯罪に對し重大なる素因を與へたる事は到底看過する事は出來ない、更に又本件が一般社會の注目の焦點となり且つ喧傅せられたる所以のものは殺人行爲そのものに非ずして寧ろ死體損壊及その後の行動の特異性である、然もその死體損壊罪の法定刑及びその量定刑の程度に想到する事を要し尚被告人が被害者の跡を追うて自決せんとし檢事が數時間遅延したらんには被告人は

幽明その所を異にして居たであらう事をも多少考察せざるを得ず、而して又輓近刑事被告人が自己の非違を猛省せずして機會ある毎に徒に事を構へて其非違を有利に糊塗せんとする傾向ある時或は又相當の年齢境遇にある婦女が動ともすれば自己反省力に乏しく其質に歸すべき事由を徒に周圍の關係者又は其他の者に傅嫁せんとするもの尠しとせざる時に當り本件被告人は自己の利益の爲め具陳し得べき幾多の重要なる事項及び機會があつたのに拘らず却つて自己の不利益となるべき事、殊に況や其重罪たることを認識しながら深く其責を痛感し敢て極めて率直に而して積極的に之を縷述して明白にしたるが如き點を一考し、尚被告人の習癖であつて且本件犯行の素因たる亂淫性の發現をある程度に道義的に矯正する事が可能なる點等をも看過する事は到底妥當なりと思料するを得ない、然り而して前叙の如く固より本件に付人名の尊重すべき事又社會風教上惡影響を及ぼしたる點等を重要視すべき事は勿論であるがこれに膠着して叙上諸點を除外して過酷に鞭打つ事はその當を得たるものではないと思料するものである、然れども本件が

愛戀の極致なりとし又は所謂心中若くは狂人に近き行爲なりと即斷し科刑の極めて輕きを妥當と思惟するは具に事件の眞相を辯へざるか、或は又人名の尊重社會風教上に及ぼす影響殊に習癖たる亂淫性の矯正を閑却したる迂愚の観察である、幸にして被告人は過去數ヶ月間の拘禁に依り最近自己の亂淫性を深く認識しこれが矯正に苦闘して居る事は或種の行爲の減その他の言動に徴し明白なるところで右習癖の矯正に付早くもその曙光を見たるものと謂ふべく從つて一定期間社會より隔離し且行刑當局の深甚なる戒護を得ば該習癖のため社會に害毒を及ぼす惧なき程度に道義的矯正を爲し得べき可能性十分なる事を推知するに足る當裁判所は敍上諸般の事情を參酌し且調和し主文の如き科刑を以て適正なるものと確信したる次第である

故に被告人は當裁判所の意のあるところを克く體得し自省自戒且自己の習癖の矯正に更に一層の努力をなし出所後は斯る犯行を繰り返さざる事を切に切に戒告するものである


《判決》       昭和11年12月22日 國民新聞

お定に寛大、懲役六年

けふ、注目の判決下る

  妖笑一番直ちに服罪

 

妖奇「お定事件」も廿一日の判決で遂に終幕となつた、最後の機会が持つ興奮も生憎の初雪がお定マニアの出足を阻み、午前一時裁判所前に到着した熱心な婦人二名を除いては、余りにも淋しい傍聴人で、傍聴券無用の早いもの勝ちと粋を利かせた裁判所側の好意も無駄となつて、開廷までに集つた傍聴人は僅かに卅名と云ふもので、廷外警戒の警官、守衛も余りの呆気なさにガツカリして居た、世論をよそに当のお定は十一月廿五日本月八日の二回の公判で妖婦と呼ぶには余りに従順に取調べを受け、常人か、異常者説か此両説いづれを採るか注目のうちに午前十一時廿七分いとも厳粛に懲役六年未決百廿日通算(検事求刑十年)の判決を言渡した、お定はこの判決に至極満足であつさり服罪近日中には栃木女囚刑務所支所に下獄する事になつた

 

出獄までの注意

 午前九時半の開廷が一時間半近くもおくれ、判決に当てた東京刑事地方裁判所の第一号大法廷傍聴席は開廷間際になつて漸く満員近くなる、十時五十五分阿部定()が地下道から看守に護られて入廷前回同様えんじ色横縞の袷に黒ちりめんの羽織を著けて裁判長前の被告席に起つ、続いて細谷裁判長は両陪席判事、酒井検事と出廷、十一時開廷を宣する裁判長は「之より阿部定に対する殺人及び死体損壊事件に対し判決を言渡す、判決主文を言ふ前にその理由、犯罪事実をゆつくり云ふ」と定に教へた後直に理由書読み聞けに入つた

裁判長の読む理由書の内容は殆ど検事の公訴事実へ即ち予審決定書の通りだが、其の犯行当時の精神状態に於ては明白に軽度の精神障害、即ち心神耗弱症にあつた事を断じ、本人の愛淫生活が齎した衝動的犯罪である事を示し、竹内弁護人の主張を多少容れたが、然し其の法文適用では刊法[刑法]第百九十九条の殺人罪並に死体損壊罪である事を断じ、世上噂された自殺幇助、過失致至傷害死罪[ママ]を斥けた事は本件類似の犯行に一指針を示したものである、裁判長は冒頭の犯罪事実でお定の実家が畳職であつた関係上、同家の職人等から感化されて早熟、且つ性に興味を持つに至つた生育当時の缺陥から、十五で処女を失つた自暴自棄から転々売春婦となり、遂に情人石田吉蔵()を識つてから本年五月十八日尾久の待合「まさき」で限りない独占慾は情死を峻拒した吉蔵を絞殺更に愛慾のシンボルである局部を切断して逃走した事実を詳細に述べ、且つ本事件が社会に大衝動を與へた事実から、裁判所が科刑する理由を諄々として教へた

此間お定は首うなだれて、ハンカチでふり落ちる涙を拭ひうんうんとうなずきながら傾聴「よく判りました」と頭を下げる、かくて廿五分間に亘つた理由書読み聞けを終つて懲役六年の判決があつた余りの軽い判決に其の一瞬満廷ざわめき出し裁判長は驚いて「静かに、静かに」と制止する、お定は血の気のない顔をニツコリ笑つて幾度も裁判長を拝む、最後に裁判長は、

「可なりむづかしい言葉もあつたらうが、よく判つたか、お前は裁判長の気持のあるところをよく胸に手を当てゝ、自省自戒今迄の悪い習癖を直さなければならない、若し此の判決に不服があれば七日の間に控訴する事が出来る」

丁寧に控訴する気持があるかどうかを訊ねると、お定はハツキリ

定 有難うございました、喜んで上訴権を放棄いたしますわ

と即時服罪を答へる、裁判長は「さうか、後悔しないか」と尚もお定の本心を訊ねたが「毛頭うらみません」と妖笑を送る、傍の竹内弁護人は起つて

竹 まことに御親切な御審理を賜り、今又本弁護人の主張する心神耗弱に依る病的衝動行為と認めて下さつた事に就いてはくれぐれもお礼を申し上げます

と主張徹つて且つ予想以上の軽い刑に謝辞を述べ、最後に裁判長は一段と声をやはらげて、

では身体を大事にしてよく刑務所でつとめる事である、それに刑務所を出る時が大切だ、お前の行為を利用して何かをやらうとする馬鹿者、営業的痴漢がお前の出獄を待つて居る様だからそんな者に利用されない様に十分気を付けなければならない

出獄後迄の注意をさとし、さきに大連の勝美夫人を数万円で擁した某カフエーの例に乗せられない事を云ふとお定は「よく判つて居りますわ、決して利用されません」と更生を誓つて十一時四十五分閉廷となつた

 

真に名判決

竹内弁護人は「まことに名判決だ」と冒頭して次の加く[如く]語る

私は弁護人として過失致死を主張したが、何分被告本人が自ら吉蔵を殺害したと主張してゐるので判決では殺人罪と認めざるを得ないだらう、本人は二度とお上に御迷惑をかけたくないと云ふ事を手紙に書いてよこして来てゐる、故に本人は直にに[「に」のダブり]服役死んだ吉蔵の霊を弔ふだらう

 

満足した様だね

   細谷裁判長談

 情痴の犯罪として社会の注目を集めたお定事件もやつと片付いた被告の生ひ立ち、性癖、傾向が型破りであるためこの種の事件としては審理に苦心を要した、お定が汚濁の人生行路に身をまかせながら案外率直な江戸ツ子気性を失つてゐないのはやや意外で、審理中は終始お定の惚気を聞かされてゐるやうなものだつた、警視庁から送られた当時は口では「恥かしい」と言つてもそれが一種の媚態で実は少しも恥かしがつてゐないやうだつたが最近は大部女らしい気持が現れて時折り心から恥かしさを感じるやうである、弁護士に対して「裁判長と陪席判事さんには絶対信頼する、妾の首を呉れと言はれゝば其場で差上げる、どんな判決が下つても決して控訴しない」と言つてゐたさうだが大体判決に満足した様だ


《判決文》

 

   主  文

 

被告人懲役六年に処す。

未決拘留日数中百弐拾日を右本刑に算入す。

押收品中腰紐一本(昭和十一年押第七二一号の一)及肉切庖丁一挺(前同押号の一九)は之を没収す。

訴訟費用は全部被告人の負担とす。

 

   理  由

 

被告人は、東京市神田区新銀町十九番地、畳職阿部重吉の末子に生れ、両親の愛撫を享け、小学校在学中より遊芸等を仕込まれたるか、両親殊に母親の溺愛に狎れ、学業を励まず、漸次放縦となり、殊に雇人等の淫猥なる言動を見聞し、かつ感化を受け早熟となり、異性に対する興味を持つに至り、遂に大正八年夏頃十五歳の時処女を喪ひてより、愈々自暴自棄となり、自ら交友を街の不良に求め、相携へて浅草方面の歓楽街に出入し、濫費を事とし、且相次て異性を漁る等淫奔放縦の振舞甚しきに至りたるより、父重吉は被告人の将来を慮り、寧ろ芸妓と為し、花柳界の裏面を知らしめなは、多少目醒むるところあらむと思惟し、大正十一年八月頃被告人十八歳の時、所謂遠縁に当る稲葉正武を介し、横浜市中区住吉町芸妓屋『春新美濃』に芸妓として住込ましめたるところ、反て其の淫奔放縦性を助長せしめ、爾来被告人は、両親に無断にて北陸関東の各地に於て転々芸妓を為すに至り、更に大正十四年十二月末二十一二歳の頃より娼妓となり、各地の妓楼に流転し次て私娼妾等次第に淪落の淵に身を沈め、淫放的生活に堕したる結果乱淫性の習癖を来し、殊に齢爛熟期に接近するに従ひ益々其の度を加へ、昭和八年春二十九歳の頃に至り、遂に心身共に情慾の虜となり情事無くして生活を為すこと能はざるに至りたるものなるところ、偶々昭和十年四月中、名古屋市東区千種町小料理店『寿』に於て相知りたる、当時名古屋市会議員中京商業学校長大宮五郎の勧告と援助に依り小料理店の経営を為さんとし、其の見習をなす為昭和十一年二月一日、東京市中野区新井町五百三十八番地、割烹店吉田屋事石田吉蔵(当四十二歳)方に一時女中として雇はれ、同家に住み込みたるか、幾許も無くして好色多情なる右吉蔵と情を通じ、家人に感知せられたるに及ひ、両名諜し合せ、同年四月二十三日朝相次いで家出し、爾来同年五月七日迄十数日間同市渋谷区円山町八十五番地『みつわ』外、市内数個所の待合に転々流連し、淫蕩痴戯の限りを尽し、互いに陶酔したるか、被告人は、吉蔵の右痴戯等に対し嘗て経験したる事無き強き、愛恋執着を感し、吉蔵も亦被告人に対する愛慾の絆絶ち難く、被告人をして待合を開かしめ、且妾となし、永く愛慾生活に浸らんとし、其の準備等の為再会を約し、被告人は、吉蔵に痛く未練を残しつつ、一時当時同市下谷区入谷町五十一番地なる稲葉正武方に身を寄せたるか、日夜吉蔵との前記情痴を想起しては、果し無き愛恋思慕の念に堪へす、或は又吉蔵夫婦の生活に想到しては果し無き嫉妬焦躁の情に駆られ、寸時も其の再会の速ならむことを期待し居りたる折柄、遂に機会を得て、同月十一日電話を以て吉蔵を誘い出し、同人と中野駅前にて落合ひ、同日午後十時頃、同市荒川区尾久町四丁目千八百八十一番地待合『「まさき」あるいは「満左喜」』事正木志ち方に赴き同家に流連し、殆と終日連夜只々情痴愛慾の限りを尽したるか、偶々五月十六日の夜半吉蔵との情痴の刺戟を求むる為め、同人の頸部を自分の腰紐にて緩縛したる際、過て同人を一時気絶せしめ、為に其の顔面に充血せしめ且変相せしめたるより、被告人は驚き種々手当を施したるも其の効無き為め、吉蔵は之を苦慮し其の治療の為、一時帰宅静養せんことを欲求するに至り、爰に於て被告人は、前記別離中の嫉妬焦躁思慕の念に堪へ難かりし苦痛を想起し、且右手当中他人より右全癒するに至る迄には一二個月を要すへき旨聞知し居りたるより、吉蔵との痴戯も当分望み難きを察知し、之を峻拒したるも吉蔵の容易に容るるところと為らさりし為め、如何にせは同人を独占し得へきかを焦躁苦悩したるか、同月十八日午前二時頃、酔余焦躁の念に駆られ、突如遂に吉蔵を独占せんには同人を殺害するに若かすと決意し、前記待合『「まさき」あるいは「満左喜」』方『さくら』の間に於て熟睡中なりし、吉蔵の頸部を前記腰紐(昭和十一年押第七二一号の一)を二重に巻付け、其の両端を両手を以て強く引絞め、更にその頸部を右腰紐を以て緊縛し、因て同人をして窒息死に至らしめたる上、数時右吉蔵の死体に痴戯し居りたるか、同日午前五六時頃更に同人の死体をも独占せむとし、其の情痴の表徴たる局部を切取り、且自己の名を刻まんとし、予め痴戯の為め購ひ置きたる肉切庖丁(前同押号の一九)を取出し、之を使用して、右吉蔵の陰茎及陰嚢を、順次切取り、次で同人の左上膊前側上部に被告の名「定」の字を刻み込み以て吉蔵の死体を損壊し、尚右独占の事実を他人に誇示せんか為、右局部等の流血を以て吉蔵の左大腿部に「定吉二人」なる文字を、其の寝床敷布に「定吉二人きり」なる文字を夫々書き遺し、尚自己の長襦袢にも右流血を塗り、吉蔵の褌襯衣ズボン下を肌に着け、更に右切取りたる局部を懐中して、同日午前八時頃前記待合『「まさき」あるいは「満左喜」』方を逃走したるものにして、被告人は、右犯行当時、軽度の精神障害即ち心身耗弱の状態に在りたるものなり

 

   証拠説明省略

 

法律に照すに、被告人の判示所為中、判示石田吉蔵を殺害したる点は、刑法第百九十九条に其の死体損壞の点は、同法第百九十条に各該当するところ、右殺人罪に付いては有期懲役刑を選択し、尚被告人は、右犯行当時心身耗弱の状態に在りたるを以て、同法第三十九条第二項第六十八条第三号に依り、右各罪の刑に付法定の減軽を為すへく、以上は同法第四十五条前段の併合罪なるを以て、同法第四十七条本文第十条に則り重き殺人罪の刑に同法第四十七条但書の制限に従ひ、併合罪の加重を為したる刑期範囲内に於て、被告人を、懲役六年に処すへく尚同法第二十一条に則り未決拘留日数中百弐拾日を右本刑に算入し、押收品中腰紐一本(昭和十一年押第七二一号の一)並肉切庖丁一挺(前同押号の一九)は、夫々被告人か本件殺人罪並死体損壞罪の用に供したる物件にて、被告人以外の者に属せさるを以て、同法第十九条第一項第二号第二項に依り、之を没収し訴訟費用は、刑事訴訟法第二百三十七条第一項に従ひ、全部被告人をして之を負担せしむへきものとす

弁護人は、尚被告人に於ては、本件犯行当時、心神喪失の状態に在りたるものなる旨主張すれども、其の理由なきこと叙上の説明に徴し明白なるを以て、右主張は之を採用せす、仍て主文の如く判決す

 

  昭和十一年十二月二十一日

   東京刑事地方裁判所第二部

 

(『どてら裁判』細谷啓次郎 森脇文庫 1956.10.30 第1刷)

 


【阿部定関連資料一覧】

《予審調書全文》
・阿部定事件予審調書(ドキュメント日本人第10巻 法にふれた人 谷川健一・鶴見俊輔・村上一郎編 學藝書林 昭和44年)
・阿部定の予審調書(「別冊新評」'72 JUN 悪徳行動学入門 新評社 「新評」昭和45年10月号より再録)
・阿部定公判記録(著者・発行者・発行日不詳 簡易製本 114頁)
・艶恨録―予審訊問調書(前坂俊之編 「阿部定手記」 中公文庫 1998年2月18日)
・命削る性愛の女 阿部定〈事件調書全文〉(コスミックインターナショナル 1997年4月10日)
・昭和十一年の女 阿部定(粟津潔・井伊多郎・穂坂久仁雄著 田畑書店 1976年11月25日)
・愛するがゆえに−阿部定の愛と性−(伊佐千尋 文春文庫 い16−7 文藝春秋 1997年12月10日)
・阿部定の訊問調書(「明治大学博物館研究報告」第9号 伊能秀明 2004年3月)
・阿部定−学生と読む阿部定予審調書−(清水正篇 D文学研究会 1998年)
・阿部定訊問事項(一)(月刊桃源郷 41号 昭和57年9月15日)※ただし第二回訊問までのみ
・予審調書(「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・阿部定予審調書(猥褻図書資料館PART2 野川浩監修 啓明書房 昭和58年1月10日)※ただし「別冊新評」の再録

《評伝・評論》
・阿部定を読む(清水正 現代書館 1998年3月25日)
・阿部定正伝(堀ノ内雅一 情報センター出版局 1998年2月19日)
・阿部定伝説(七北数人編 ちくま文庫 あ27−1 筑摩書房 1998年)
・お定色ざんげ−阿部定の告白−(木村一郎 河出文庫 き2−1 河出書房新社 1998年)
・惚れたが悪いか(島村洋子 小学館 2003年)
・なつかしく思います−阿部定に愛された男−(森珪 現代書館 1996年)
・お定事件とその裁判(細谷啓次郎 「どてら裁判」 森脇文庫 1956年10月30日)
・阿部定事件(森長英三郎 「史談裁判」 日本評論社 昭和41年12月5日)
・阿部定における女陰の成熟(平岡正明)
・緊張をほぐした阿部定の功罪〈昭和11年〉(戸川猪佐武 「素顔の昭和」 角川文庫)
・阿部定猟奇事件(若梅信次 「文藝春秋」にみる昭和史 文藝春秋)
・阿部 定─わが怠惰と諦念を刺す(田中美津 「一億人の昭和史」 毎日新聞社)
・阿部定・坂口安吾対談(坂口安吾著 坂口安吾全集 05 柄谷行人・関井光男編集 筑摩書房 1998年/「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・阿部定さんの印象(坂口安吾著 坂口安吾全集 06 柄谷行人・関井光男編集 筑摩書房 1998年/「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・断章・悪徳への傾斜 性愛の承認と正当化を求めて(中田耕治 別冊新評 '72 JUN 悪徳行動学入門 新評社)
・畳屋のお定ちやん(久保久美・仙子 婦人公論 昭和11年7月号/「阿部定手記」中公文庫 ま27−1/「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・阿部定と語る(太田金次郎 「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・智照尼と阿部定(竹内金太郎 「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・更生途上にある独房の阿部定隣室観察十日間(小倉ミチヨ・相対会研究報告 下川耿史編 ちくま文庫 1999年12月2日)

《小説・戯曲》
・阿部定−関根弘詩集−(関根弘 土曜美術社 1971年)
・世相(織田作之助 定本織田作之助全集 第五巻 文泉堂出版 昭和51年4月25日/「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・妖婦(織田作之助 定本織田作之助全集 第五巻 文泉堂出版 昭和51年4月25日)
・阿部定の犬(喜劇昭和の世界1 佐藤信 晶文社 1977年)
・現代日本戯曲大系 第10巻 1975〜1977(三一書房編集部編 三一書房 1997年)
・聖淫婦(宇能鴻一郎 「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)
・鬼灯(森真沙子 「阿部定伝説」 七北数人編 ちくま文庫 1998年2月24日)

《その他》
・尾久の民俗(荒川区民俗調査報告書2 荒川区民俗調査団編 荒川区教育委員会 1991年)

《インターネット》