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阿部定予審調書感想とまとめ


●僕と阿部定との出会い

 阿部定事件に関心を持ったのは、中学時代であった。確か文芸春秋といった総合雑誌のピンクページに、男の局部を切り取った阿部定なる女性がかつていたということが、面白可笑しく語られていた。その「局部」という言い回しに、変に興奮し、以後、その関連の秘密の言葉を辞書で引いては、興奮していた。それが高じて、あるときなどは、「経済性」という言葉にさえ興奮したものである。
 しかし、普通ならそれだけで終わったのだが、気がついてみれば、妻と結婚後に偶然に、僕は阿部定が石田吉蔵を殺した尾久町の待合のそばに住んでいることを知ったのである。しかも、石田吉蔵の割烹料理屋があった中野にも、一時住んでいたので、何かと因縁浅からぬものを感じた。
 とはいえ、阿部定事件を探求してみたいと思ってきたが、なかなかその機会が訪れてこなかった。だから、資料もあまり集めてこなかったというのが、正直なところである。70年代前後には、阿部定に関する演劇や評論などがあったが、それらの書籍は、ついに購入しないままに終わっている。
 今回、ホームページに予審調書を掲載するにあたって、阿部定関係の資料を調べることになったのだが、近くの区立図書館では、ほとんどこの手の資料は姿を消していて、なかなか困難が多い。今後も資料が見つかれば、その都度、更新していくつもりである。

●阿部定事件への興味の底流はどこにあるか

 阿部定事件は、昭和十年代に起きている。当時としてみれば、すこぶる猟奇的な犯罪であったことは理解できる。しかし、現代からみれば、かなりありふれた犯罪であったとも思われる。
 男の性器を切り取るという行為は別として、性交を楽しむために首を絞めるというのは、今では別段珍しくない。阿部定裁判で担当の竹内弁護人は、「吉蔵は他人から虐められる事を喜ぶ精神異常者であり、お定はいぢめ、いぢめられる事の両性を兼ね備へた異常者である。此結合要素を備へた男、女が遭ふ事は千万人に一人の割合であらう。然るにお定、吉蔵の二人は陰陽、凹凸全く符号融和すべき千載一遇の暗号の結果であり、此の稀有な運命の下に、運命の神の悪戯に依つて本件を誘発したものである」として、異常性愛による犯罪であることを強調した。
 しかし、それは当時の人たちにとって異常であったのであり、今からみれば異常の程度は、それほどではないといえる。つまり、単なるフェティシズムの発露というべきものであろう。
 また、当時、異常性愛に関して、たとえば谷崎潤一郎や江戸川乱歩などが小説などの面で追究しはじめていたということも、対照しながら、この時代の特質をみていく必要があるだろう。さらに、性に関しては自慰が害を及ぼすといった迷信が横行し、それに対して山本宣治などが性的盲信を打ち破ろうとした時期も過去にあったわけである。
 しかし、思うに、阿部定事件が、これほどまでに現代まで人を惹き付けてきたのは、やはり、性器を切り取られるという男性の本能的な恐怖感をともなっている事件であったからではないだろうか。単に性的快感を追究した結果、相手の首を絞めて殺したというのなら、それほどの大事件にはならなかったのではないかと思う。
 男の子は小さい頃から、性器玩弄の癖が少なからずあるが、女性が男性の性器に、これほどまでに愛着を寄せていたということは、男にとって、驚きでもある。

●予審調書の文章的性格について

 この「犯罪書誌学」のページでは、原則的に犯罪者(あるいは犯罪の関係者)が自ら書いたものを対象にしているが、予審調書はそれとはちょっと性格を異にする。
 本来、調書というのは、いうなれば、自分の発言を他人の手によってまとめあげられたものである。岩波国語辞典にも、「問いただし調べあげた事柄を書いた文書」とある。
 これはちょうど、雑誌や新聞からインタビューされた、いわゆる「○○談」という記事のスタンスと似ている。
 が、インタビュー記事が、総じて発言者の発言の真意やニュアンスなどを吹き飛ばし、記者の意図や指向性や都合のもとに編集し直されていることが多いように、調書というものも、実際は肉声とは遠い部分が多い。物事の骨格だけは言い当てているが、ニュアンスにおいては異なったものが出来上がってしまうという可能性はなきにしもあらずであろう。実は、このことは、僕のようなゴーストライターの仕事ともかかわってくる、根本的な問題なのである。
 つまり、原則的には、どうあがいても、他人に成り代わって、文章表現することはできないが、本人の書いたもののように近づくことは可能ではあるということである。が、それでも、ときどき本人の意見の細部までは、他人は汲むことができないのである。人の意見を他人が書くことの本質的な矛盾というものは、あるのである。
 また、調書は、ことに物事の説明をステロタイプな表現ですまそうとする傾向がある。これはその被告や被疑者の行為を法律的な定規で判断しなければならないからである。文学的な表現では、法律判断ができなくなる可能性もある。
 そのために、たとえば犯罪の動機といったものが、一定の型にはめられて処理されてしまう可能性も高い。ある意味では、検事などは、そうした型にはめて、事件を処理したがる傾向があるので、それにうかうかのっかると、大変な不利益をこうむることもまれではないのである。
 しかしながら、阿部定の予審調書に関する限り、調書のステロタイプな表現は、かなり頭を潜めているという感じを受ける。いうなれば、調書らしくない部分が多いのである。この理由だが、考えるに、法の番人側にとって、この事件をどう扱っていいか、逡巡したためではないだろうか。阿部定の行為について多大な興味を抱きながら、しかし、露骨に「おいこら」調で取り調べをすると、世間が注目しているだけに不味い。かといって、正確に犯行を問い質せば、それはとんでもないエロとグロの世界に陥ってしまいかねない。そうした、性に関してはタブーの多かった戦前の人達が、この奇抜な事件にどう対処していいかわからないという戸惑いを見るのである。
 ある意味で、裁判官も、予審判事も、阿部定に対しては好意のようなものを持っていたのか、それとも、心の底では、どうしてもにやついてしまうものがあって、押さえるのに苦労したということなのだろうか。

●句読点の少なさについて

 調書の全般を通じての文章的特徴として、句読点の少なさをあげることができる。これは、もともと警察関係や法曹関係の文書が持っている特徴でもある。そのあたりが、作家の文章とは、趣を非常に異にしている。
 文章を人に読んでもらってお金を得るのが作家であるが、調書の目的は、読んでもらうというところにはあまりない。むしろ、事実を正確にまとめて記していくということが望まれるわけである。つまり、調書にとって「読みやすさ」というものは、十分条件であり必要条件ではないのだ。
 また、今回の予審調書で、句読点が少なく、「……が」という接続詞を多用して、文章をずらずらつなげていくということについては、二つのことが考えられる。
 一つは筆記者が、読みやすい文章というものに関して無頓着であり、文章そのものを書き慣れていないためである。
 第二はかつては手書きであったという点である。
 今でもそうであるが、個人的な手紙文など手書きする場合は、あまり段落の配置といったことや、句読点といったことも考えないで書いてしまう人が多いようだ。ワープロ書きの場合は、句読点や文節で文字変換するために、自然に句読点で区切るという意識がはたらくことも多い。
 きちんと、読みやすいように適宜段落をもうけていったり、句読点を五月蝿いほど入れるというのは、まずは文章を書くことに一定の訓練をしてきた人、そしてワープロで文書を書くようになってきたということが考えられる。
 ちなみに、昭和二十年代の警察の文書があるので、句読点と段落の配置の参考例として紹介しておこう。原文はガリ版刷りであり、固有名詞はすべて仮名、また年月日も適当に変えてある。
四、被疑者の経歴性質素行 家族状況
1、経歴
被疑者は父山中捨吉の二男として出生小學校在學当時は比較的成績良く数回 表彰されたことがあり卆業後は自宅に於て家業の手伝をしていたが昭和二十四年九月頃より精神病(ゆううつ症)に罹り自宅療養中数回に亘って自殺を企てたこともあったが、昭和二十五年三月頃一應全快した。 昭和二十七年九月頃再発田中精神病院に於て診断を受け引続き自宅に於て療養中同月末頃未明に住居地である田島部落の各農家の畜牛を一斉に放逐する等の行為があり仝月三十日縣下大腹郡臍下町(現大腹市臍下町)田中精神病院に入院治療中同院に於て仝年十月五日頃及び十月二十日頃の二回に亘り病室を破壊して脱走帰宅する等相当病状は昂進していたようであったが 昭和二十八年初頃より概ね全快の域に達し其の後は自宅において数回軽度の再発を見る程度で平静に家事に従事していた処 本年九月中旬頃より再び発病の徴候を示し実兄忠敬に於て仝人の行動を監視中であった
 これを読むと、まさに阿部定事件の予審調書の文章の調子と同根であることがわかるだろう。特徴として、まず表記の不統一(「於て」と「おいて」の混在)、そして形式名詞の漢字表記(「等」)、そして句読点のあまりの少なさ、堅苦しい文語表現といった点がある。文章の区切りはスペースを入れるという方法である。
 ただし、こうして活字体で、きちんとした組版?で文書を見ているために、読みにくく感じるが、これが手書きのペーパーの文書としてなら、それほど読むのに難儀は感じない。
 手書き文書では、プロの文章書きは別として、一般の人が書いたものは、おおむね句読点が少なくなる傾向がある。が、それでも読むのに困難を感じないことが多い。なぜなら、手書き文書においては、行を変えたり、適宜字間にスペースをもってくることで、句読点の代用になるからだ。その点が、手書き文書をワープロに打ち込むときのギャップといえばいえるだろう。

●阿部定事件予審調書の資料性について

 この予審調書の本文は、およそ三十年程前に出版された雑誌に掲載されていたものを、できるだけ忠実にテキストファイルに打ち込んだものである。たぶん、原文は、記者が調書を書き取ったものであろう。そのために、ある意味では、正確さという点に欠けるところがあるように思われる。
 予審調書の全文を紹介した資料に関しては、学藝書林の「ドキュメント日本人」のシリーズ第10巻の「法にふれた人」の中にあるものが、たぶんかなり有名で、しっかり編集されたものの一つといえるであろう。
 ただ、僕が今回、HTMLにまとめた資料と、「ドキュメント日本人」版とは、細部において、若干異なる部分が数々ある。たとえば、第一回調書の冒頭にある被告人の住所にしてからが、番地の数字の表記の仕方が違う。そしてまた、句読点の位置をはじめ、言葉の表記の問題や、改行位置、そして旧字と新字、新仮名遣いと旧仮名遣いなどの問題などがある。
 どちらかといえば、「ドキュメント日本人」版は、編集者の手で、用語統一をなされたのかもしれないし、検事局側が後から手を入れて、整った文章にしたのかもしれない。そうした、ある種のコントロールされた文章という感じを覚える。また、「ドキュメント日本人」版では、一般に市販された書籍という性格からか、犯行の状況を説明している箇所において、いくつか伏せ字にされてしまっている部分があるのは残念なところである。今回の調書では、伏せ字は判読不能部分と、僕のほうで仮名にした部分しかない。
 こうしたことを考えると、僕らは、ひょっとして、まだ本物の原文というものに触れていないのではないかとさえ思えるのである。七十年も昔のことで、既に歴史的事実という彼方にいってしまった事件であり、正確な資料を探すことは、最早困難といえるかもしれない。
 ということで、ここで紹介した資料も、全面的に信頼をおくのではなく、さまざまある資料の一つのバリエーションとして、とらえていただければと思う。
 最後に、阿部定事件に興味を持たれた人が、ぜひ一度は読んでいただきたいのは、戦後に作家の坂口安吾と阿部定との対談記事(「座談」昭和二十二年十二月号)である。安吾全集にも収録されていると思うし、また昭和の犯罪事件を記録した本などにも収録されている。数少ない阿部定の肉声を味わうことができるだろう。ここでは著作権の関係で収録できないので、探して読んでいただきたい。
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