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第八回訊問
問 前回迄述べたことの内訂正する点はないか。
答 何もありません。
問 被告が品川館で書いた石田宛の遺書に「寝る前に今度締めるなら途中で手を離しては厭だよ、締められて居る時は苦しくないが後の方が苦しいからと云って石田と眼を見合せてぢっと何時迄も笑って居た、その時石田が殺されても良いと思って云ったのではないかしら」と書いてあるが被告はその実石田を殺す時左様に考へて居たのか。
答 品川館に泊った頃は上擦って居る時で、石田は死んだのだから私もせつなく思って死にたいと云ふ自分の気持ちで書いたものです。実際石田は死にたくはなかったと考へて居ましたが、帰し度くないばかりに殺してしまったのです。只今でも全然石田が死にたくないのに殺してしまったのだと信じて居るだけ石田が可哀想で辛い思ひがします。
せめて気休めに石田に「殺されても良いか」と一言聴いて納得させればよかったと残念でなりません。
問 予審判事は被告に対し本件犯罪の嫌疑を受けたる原因を告知したる上是で予審の取調べを終るが、最後に弁解することはないか。
答 稲葉正武や黒川はなが証人として述べて居る内、稲葉が私と極く昔関係があっただけとか、私が富山時代生活の補助を受けたことはないとか、大連から帰ったおかねさんと関係が出来た為家が揉めたことがないとか、私が草津へ行った時金を送ったとか云う様なことは噓で、此点に付て前回迄述べたことに間違ひありません。
又稲葉や黒川が述べる様に歌ちゃんから私が金を借りたことはありません。
その他のことに就ては、今迄に述べましたから何も申上げることはありません。
以 上
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《参考付録》
以下は、「事件を語る63歳の阿部定さん」とテロップにあるテレビ報道のビデオファイルから筆者が筆耕したもの。1968年か1969年に収録された計算になる。1967年に阿部定は下町で小料理屋を開き、1969年には「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」という映画にも姿を見せている。
(昼間、東京下町の風景俯瞰図。カメラが左にパンしていき、隅田川にかかると思われる橋の歩道がズームアップされていくなか、二人の人間が左方向へ並んで歩いている様子が映る。橋の真ん中あたりで、その二人にズームアップ。若い男が左に立ち、和服の老婆が右に立ち、二人で向かい合って話している)
ナレーション 昭和11年5月17日、阿部定は情夫石田吉蔵の局部を切り取り逃亡した。世間は定に淫乱のレッテルを貼った。果たしてそうか。私は阿部定さんを探し出し……。
阿部定 あの人はねえ、まあ、喜んで死んだんだからね。別に、何も、ないのよね。それなのに、もう、なんか、みんな、こう……言うのは、今でもおかしいのよね。
インタビュアー うーん……。
阿部定 厭なのを殺したんじゃないんだから。殺してくれって、何遍も私に言ったんだからね。だから、あそこを出るときにね、出るときに、全然あの人を置いてくわけでしょ、……ね。そしたらその場合、なにかを持ってきたいという気持ちになるのは、これは当たり前のことでしょ。何かその人を、ね。人間ふっと持ってくわけにはいかないわよね。そしたら、やっぱし、男の、その、物を、持つしかないわよね。
インタビュアー いかに吉蔵さんが好きだったかですね……。(ただし語尾不明)
阿部定 ええ、それはもう……人間というのは一生に一人じゃないかしら、好きな人。ちょっと浮気とか、ちょっといいなと思うのはあるでしょうね、いっぱいそれは。人間ですからね。
インタビュアー ええ。
阿部定 けども、芯から好きだってのは、一人じゃないかしら。
インタビュアー いろいろありがとうございました。(阿部定何か小声でつぶやきながら会釈)どうぞお元気で。
阿部定 ごめんなさい。(阿部定もう一度会釈しながら橋の右側に去り、姿がだんだん小さくなっていく。その後ろ姿をカメラが追う)
ナレーション 異常、それは正常の裏返しでしかないのか。異常とは何だろう。女の命であるひたむきな愛さえ、女を異常な犯罪に駆り立てる。それはこの事件以後、全国に広まっていった象徴切り事件にいみじくもあらわれているのではないだろうか。